VIVA!日常

毎日を楽しく生きる!をモットーの主婦の日記 (いま好きなことは世界の料理・映画・ビーズ)

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マリアテレジアとシェーンブルン宮殿

マリアテレジア


松坂屋美術館へ行きました。
「マリアテレジアとシェーンブルン宮殿」を見に行きました。



マリアテレジア ←クリックしてもらうと彼女についての説明にとびます

おもしろかったぁ!
おねえさんに3回も質問して
2時間近くもいたようです。

おかげで すっかり疲れてしまいました。

丁度、出口を出た所にレストランがあるので
そこに入ってランチしちゃいました。

マリアテレジアについて難しい話は避けて
彼女の逸話などを羅列します。

彼女は1717年生まれ。1740年に在位。1780年没。

・彼女は16人出産して子どもを政略結婚させたりした。
(うち成人したのは10人)
彼女自身は自由恋愛をして結婚した。
(親は最後まで男子を望んでいたので世継ぎと思われていなかった)

彼女は子どもを平等に愛したのではない ようで、
溺愛した娘とうとんじた娘とがいた。

モーツァルトはマリーアントワネットにプロポーズしたことがある。
(有名な話だそうです)

・日本の伊万里焼きや日本の富士山を描いたものなどを所有していたが
彼女は後者を「インドもの」と呼んでいた。
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*Comment

 

おはようございますぅ~

マリア・テレジアと言えば、マリー・アントワネットのお母さん~
って言うことくらいしか、知りませんでした(・o・)
女帝なんですよね!
ヨーロッパの貴族になってみたい私です~
  • posted by babu 
  • URL 
  • 2006.08/09 07:41分 
  • [Edit]

 

40年も君臨して16人も子供を--、こんなに綺麗な方だったのですね。今までのイメージと結びつきません。多産だったことも君臨していたことも知っていましたが。
  • posted by kazuyoo60 
  • URL 
  • 2006.08/09 10:05分 
  • [Edit]

 

マリア・テレジアをクリックしたけれど、こちらではウィキペディアがひらけないのでした。
モーツァルトがマリーアントワネットにプロポーズしたのは小さな子供の頃のことでしたよね。たぶん・・・
宮殿に招かれてピアノ演奏に出かけたとき廊下で転び、手を貸して助けてくれたのが彼女。そこで、「大きくなったらぼくのお嫁さんに」と言ったとかと何かで聞いたような・・・
違ってたらごめんちゃい。
  • posted by bashiまま 
  • URL 
  • 2006.08/09 13:49分 
  • [Edit]

マリア、テレシア 

マリーアントワネットの母、16人も子供を生んだとは、思えないほどの、綺麗さです。
40年も君臨して、女帝を誇っていたのですね。何処の国も、大将は威張っていたのですね。マリーアントワネットの、母として知られていますよね。

 

お勉強をさせて頂きました。
マリア・テレジアについても読ませて頂いたわ。

美人だわね~。
  • posted by ベンジャミン 
  • URL 
  • 2006.08/09 16:46分 
  • [Edit]

もしかしたら 

>モーツァルトはマリーアントワネットにプロポーズ
ここです、ここ!
もし結婚できていたら、サリエリの迫害も受けなくて済んだのかも・・・
ヨーロッパの歴史も少し変っていたでしょうね(^^ゞ
  • posted by クリントン 
  • URL 
  • 2006.08/09 17:08分 
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すごい! 

香菜さん、こんばんは~。

ここで教養を身につけてしまいました。v-10

マリアテレジアについても読んでみましたよ~。
あんなに詳しく知ることができてウレシイです。

香菜さんは、よく美術館とか行くの???

  • posted by クー 
  • URL 
  • 2006.08/09 19:41分 
  • [Edit]

babuちゃん 

私もそれくらいしか知らないです。
だから、とっても新鮮でした。
私も貴族生活を体験してみたいです。
ただし、期間限定で充分です。
babuちゃんも?
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:17分 
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kazuyoo60さん 

わ、いろいろとご存知だったのですね。
この肖像については、良く描いてあるかも?って
思います。
どうでしょう?
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:19分 
  • [Edit]

ウィキペディア 

マリア・テレジア(Maria Theresia, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世シュテファンの后、オーストリア大公、ボヘミア女王、ハンガリー女王。在位は1740年 - 1780年。よく「女帝」と呼ばれ、実態も女帝そのものであったが、実際には神聖ローマ皇帝にはなっていない。

後述するようにハプスブルク家の領土を相続したのは彼女であるため、彼女の肖像画には(ハプスブルク家が事実上、世襲していた)神聖ローマ皇帝の帝冠が添えられている場合が多く、当時としても、少なくとも領国内では「女帝」と認められていた。また、皇帝であるフランツ1世よりも圧倒的に政治権力が強く、ハプスブルク家を実質的に指導していた。このためフランツは夫君であり、王配としてのイメージで捉えられ、マリア・テレジアの女帝的性格(実際には、皇后であり女王)が広まったといえる。百科事典においても、伝統的にマリア=テレジアは「女帝(神聖ローマ女帝)」として掲載される場合が非常に多く、海外でも同じ傾向にある。

[編集]
生涯
マリア・テレジアはハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝カール6世の娘として生まれたが、当家は男系相続だったため、当初は自由な教育を受けていたとされる。しかし男の兄弟がいなかったことから、やがて次期後継者と目されるようになった。それまでハプスブルク家は女子の相続を認めてこなかったことから、カール6世は国事勅書を出して国内及び各国に彼女のオーストリア・ボヘミア(ベーメン)・メーレン・ハンガリーなどハプスブルク家世襲領の相続を認めさせたが、その脆さは彼の死後、すぐに露呈する。すなわち、彼が死ぬと周辺諸国はマリア・テレジアの相続を認めず、領土を分割しようと攻め込んできた。これがオーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)の勃発である。

プロイセン国王フリードリヒ2世が最初に、自国の南にあるハプスブルク家領のシュレジエンに攻め込み、これに対しマリア・テレジアはシュレジエン防衛の決意を明らかにし、第一次シュレジエン戦争・オーストリア・ザクセン戦争が勃発した。1741年6月25日にマリア・テレジアはハンガリー女王として即位した。しかし、その後バイエルンまでもがオーストリアの敵に回り、バイエルンとの戦いを決意したものの、オーストリアは度重なる戦争のため、すでにお金も援軍もなく、宮廷の重臣たちは冷ややかで窮地に追い込まれた。そこで彼女は1741年にハンガリーに乗り込み、9月11日にハンガリーの議会で演説を行った。そして金と軍隊を獲得し、戦う体勢を整える。

その後の戦況は二転三転し、一時は皇帝の地位もバイエルン王国のヴィッテルスバッハ家当主、カール・アルプレヒトに奪われるが、彼の死によって幸運にも奪還し、1745年の10月4日には夫フランツを帝位に就けることに成功する。だがプロイセンには軍の規律や訓練の差などから敗北を喫し、シュレジエンはプロイセンに奪われたままとなった。

シュレジエンを奪還するために、彼女はハウクヴィッツを登用しての内政改革、ダウンによって軍改革を行いつつも、外交面においてはカウニッツを登用してフランスに接近する。これまでずっとハプスブルク家と争ってきたフランス(ブルボン家)だが、イギリスとも仲が悪く、プロイセンがイギリスと同盟したことが最終的なきっかけとなってオーストリアと同盟を結ぶ。これを外交革命という。

その年、つまり1756年、プロイセンとオーストリアの間で再び戦争が勃発する。後に七年戦争と呼ばれるこの戦争は、前回と違ってフランスやロシアの同盟を得たオーストリアが優勢に戦争を進めるも、フリードリヒの粘りによって財政的負担が重くのしかかってきた。そして1762年、オーストリアとの同盟を推進してきたロシアのエリザヴェータ女帝の死とその後の政治的混乱の結果、ロシアが最終的に戦争そのものから離脱し、その後の敗戦によってマリア・テレジアはシュレジエン奪還を諦めざるを得なくなる。こうして1763年のフベルトゥスブルク条約で、シュレジエンはプロイセンに完全に帰してしまった。

戦後も、彼女の改革は進められた。この頃になると啓蒙主義的な官僚の勢いが強くなり、マリア・テレジアの改革も次第に啓蒙主義的な色彩を帯びるようになる。衣装の自由化(1766年)やイエズス会の禁止(1773年)などが代表的だが、彼女自身は次第に保守化した。1765年に死んだ夫フランツに代わって帝位についた息子で急進改革派のヨーゼフ2世とはしょっちゅう意見が対立し、宰相のカウニッツも彼女への不満を書き残している。1780年、死去。

[編集]
家庭生活
個人的には、当時としては珍しく夫のフランツとは恋愛結婚で結ばれ(夫の方はこの結婚のために、自分の領地であるロートリンゲン公国を手放さなければならなかったのだが)、夫婦生活は概ね円満だった。結婚の4日前にフランツにしたためた手紙が現在も残り、未来の夫への情熱的な想いを今に伝える。この手紙はラテン語やフランス語などの様々な言語で書かれ、彼女の教養の深さを窺い知ることができる。また夫の死後自分が死ぬまでの15年間、喪服を脱ぐことはなかったと言われる。

夫との間に、男子5人、女子11人の16人の子供をなし、男子はみな夭折せず成人している。だが、子供に関してはえこひいきもあり、4女のマリア・クリスティーネを最も可愛がり、彼女にだけは相愛のザクセン公子アルベルトとの結婚を許している。このため、マリア・テレジアの死後、この夫婦はヨーゼフ2世から冷遇された。また政略結婚に使えない、身体の不自由な2女のマリア・アンナには冷たいなど、必ずしも理想的な母親とは言い難かったようだ。死の直前まで末娘でフランス王妃になったマリー・アントワネットの身を案じていた。夫フランツ譲りの遊び好きな娘に対し、フランス革命の発生を警告する手紙を送っている。また、恋愛結婚を認められないままパルマ公妃となったマリア・アマーリエは、嫁ぎ先で傍若無人な振る舞いをしたため、勘当にしている。

このように、マリア・テレジアの娘や息子はほとんどがブルボン家と結婚しているが、これが後になってドイツ諸侯のハプスブルク家離れの一因となったとも言われている。
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:22分 
  • [Edit]

bashiままさん 

ウィキペディアをコピーしてもってきました。

モーツァルトのお話は小さい頃のお話だったのですね。
納得~!
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:24分 
  • [Edit]

菜桜さん 

これが実物そのままとは限らないと思います。
なあんて思う私は意地悪かな?

この絵は彼女が若い頃です。
中年の肖像がはそれなりに中年のでっぷりおばさんでした。
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:31分 
  • [Edit]

ベンジャミンさん 

何か機会がないと勉強なんてしないなあという私です。
この絵は彼女の若い頃です。
多分彼女の人生でも 一番きれいな時期かと思われますね。
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:35分 
  • [Edit]

クリントンさん 

サリエリを知らないので調べたら
モーツァルトはサリエリに毒殺されたかも?
ってなっていました。
へー!そうだったんですねえ!
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:50分 
  • [Edit]

クーちゃん 

彼女のだんなちゃんが今、こういう関係なので
券が無料で手に入るのです。
転属になっても 美術館へは行こうと約束しています。
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/09 20:52分 
  • [Edit]

マリアテレジア 

クリックしてみたら、もう少しお年を召した彼女が現れました。

やはり若いって美しいな~なんて写真を見入ってしまいました。
でもちゃんとお勉強もさせて頂きましたよ。
知らないことを知るって楽しいですね。
ただ、すぐに頭の中から消えちゃう事が悲しい
  • posted by 毎日が休日 
  • URL 
  • 2006.08/09 23:40分 
  • [Edit]

ありがとう 

お忙しいのにお手数をおかけし、ありがとうございました。

マリアテレジアのことがわかりました。
本当は女帝ではなかっったけれど女帝だったのね。しかしすごい人生ですね。
  • posted by bashiまま 
  • URL 
  • 2006.08/10 08:19分 
  • [Edit]

おはようございます 

マリアテレシア お恥ずかしいですが
初めて知りました。
色々勉強になりました、有り難うございます。
  • posted by mico 
  • URL 
  • 2006.08/10 09:46分 
  • [Edit]

毎日が休日さん 

そこなんですよ。私もそれが悲しい。
お勉強は知らないことを知れて楽しい。
なのに、すぐに頭から消えてしまうのです。
「初めて知った」って言うと「前もそう言った」
といわれた時はショック…。
若いというだけで美しい。私たちもでしたかね?
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/10 09:57分 
  • [Edit]

bashiままさん 

逆に ご丁寧にお礼を恐縮です。

子どもたちにとってはいつまでも恐い母親
だったようです。
娘や息子の国の政策にも、行う前には
一言相談せよと言っていたらしいです。
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/10 09:59分 
  • [Edit]

micoさん 

いくつになっても知識はうれしいと
思うようになりました。
自分が子どもの頃に思えばよかった
と遅すぎる反省をしております。
  • posted by 香菜 
  • URL 
  • 2006.08/10 10:01分 
  • [Edit]

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プロフィール

香菜(kana)

Author:香菜(kana)
愛知に住んでいましたが、
春に夫の転勤のため
習志野に転居しました。
でも、夏までは 行ったり
来たりの生活が続きます。

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管理人の独断と偏見により、
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ご理解のほどよろしくお願い
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